(有)土遊野
富山市の中山間地で有畜循環型農業を実践する
橋本さん一家

橋本秀延・順子さんご夫妻と娘の恵さん

農場では小水力発電の実験も行っています

産地交流会で
■土遊野農場の生い立ち
企業や事業者に対する告発型の運動が多かった1970年代、当時として珍しく具体的な対案を持ち汗をかく活動として「草刈り十字軍」がありました。富山県の大学教員・足立原氏が造林地の除草剤散布を止めさせるために、“鎌を持って草を刈ろう”と呼びかけ、その訴えに共鳴した人々が全国から集まりました。「草刈り十字軍」は除草剤の散布を中止させた後も活動を継続し約4000人の人々が参加してきました。こに集まった若者たちは生きかたを変え、新しい価値観を持ち、やがて地域づくりの核として育った方も少なくありません。橋本秀延・順子さん夫妻もその一人でした。 サラリーマンの家庭で育った秀延さん、旧家の醤油家に生まれた順子さん。共に農家でない2人が出会い、草刈り十字軍の分校のあった旧大沢野町の土(ど)の棚田の風景に接し、その素晴らしさに魅せられここで農場を開くことを決意します。 試行錯誤を経て2人が現在の土遊野(どゆうの)農場がある富山市土に移住したのは1983年のことでした。土は富山市の中心街から車で30分のところにありますが、交通不便な場所です。神通川を渡り小羽地区から先は冬場は車一台が辛うじて通れる道を下って到着する場所にあります。橋本夫妻が移住した当時は6軒あった集落は、やがて橋本さん一家だけが残ることになりました。
■有畜循環型の農法
この地で橋本夫妻はできる限り自分たちで食べるものは自給し生き物たちの力を借りて生活を営む、有畜循環型の農業を始めることになります。日本の中山間地は高齢化と過疎化が進み耕作放棄した田んぼが増える一方です。橋本夫妻は日本の里山の原風景とも言える棚田を守るため、条件の悪いところでも田んぼ仕事を請け負い現在は圃場を6haまで広げてきました。山間部の田んぼは点在し耕地面積も狭いためお米作りの効率はとても悪いのですが、人手が足りないところはアイガモによって除草しています。アイガモは雑草を食べるだけでなく、田んぼの水をかきまぜることで土に酸素を入れ肥料の吸収をよくし、アイガモの糞は稲の養分にもなります。 お米作りと並ぶもう一つの柱は養鶏です。約1000羽の鶏を平飼い鶏舎で飼い、餌は輸入穀物は使わず、野菜や屑米に周囲の学校給食で残った残渣なども与えます。その鶏糞は田んぼや畑に撒き肥料にします。ヤギもここでは主役の一人。ヤギから乳を絞り加工品の原料にします。農場では年間約30種類の野菜や小麦・そば・飼料イネも育てます。こうして生まれた農産物や加工品は自分たちで販路を広げ販売してきました。
■現在の土遊野農場と共同購入会の取り組み
限界集落とも呼ばれる土集落ですが、30年近くの取り組みの中で土遊野農場では若い人たちの賑わいも生まれてきました。昨年大学を卒業した娘のめぐみさんが家に戻ってきて野菜主任として働いています。めぐみさんはケーキや天然酵母のパン作りなど加工部門も担当し、玄米粉や卵・ヤギ乳など農場の素材を生かしたシフォンケーキを製造しています。 土遊野農場には現在7名のスタッフが働いていますが、8年前からスタッフとなった加藤京子さんはここで家を借り、養鶏の手伝いをしながら仲間たちと米作りを始めました。1反(約10a)耕せば一家族4人が2世帯分食べるには充分のお米が採れるそうです。田んぼには年間を通して仲間たちが通い、お米は昔ながらのはざがけ天日干しで乾燥します。 土遊野農場ではファームスティにも積極的で、富山YМCAと提携して「地球っ子スクール」を開催。毎年子供たちの農業体験にやってきます。また、参加者が農作業を提供しながら食事と宿の提供を受ける「WWООF」登録農家として海外からの若者も受け入れています。 2年からはエネルギーの自給も目指す取り組みも始めました。富山国際大学と富山高等専門学校の協力で小水力発電所をここに建設し、自家用の電源と電気自動車の動力源にする予定です。小水力発電はダム発電などと違って発電量は大きくはありませんが、水の循環を断ち切ることがなく、沢の少ない水量の落差を利用しても発電できる方法で山里のエネルギー源として最近注目を集めています。 みどり共同購入会・風屋共同購入会とは2009年に契約米・コシヒカリの取り組みが始まり、2010年には注文米・イセヒカリの取り組みを行うようになりました。今年度の契約米は昨年を上回る申し込みがありました。棚田で採れるお米を食べることは日本の山村の環境を守っていくことに繋がっていきますが、なによりお米そのものが美味しいと会員の皆さんに評判です。それは山あいに流れる水と昼夜の気温の差が美味しいお米を育てる条件となっているからでしょう。昨年は初めてここで産地交流会を実施しましたが、今後も会員の皆さんが土遊野農場の農的な暮らしに触れる機会を作っていきたいと考えています。
<取材:2010.11.13> 注:現在、橋本めぐみさんは結婚され河上姓となり、土遊野農場代表となっています。
西屋 正さん
冬場でも水を張り農薬を使用しない田んぼは
生きものと共存する世界が広がっています

西屋さんと収穫直前のお米

西屋さんの田んぼはタニシなど生き物がいっぱいいます

冬季には白鳥も飛来する西屋さんの田んぼ
■西屋さんとお米の栽培
西屋さんは1951年生まれの専業農家で、羽咋市深江町で4.5haのお米を栽培しています。自然農法の元祖として知られる福岡正信氏の影響を受け、自分もいつか田んぼにじかに種もみを蒔き、一切の手を加えず収穫できるような農法にしようと長い間模索してきました。4.5haの栽培面積のうち、2/3が農薬や化学肥料・除草剤無使用の圃場で栽培した米です。残り1/3の圃場は早場米「ほほほの穂」などを作っています。 お米の栽培は次のように分けています。 〈A〉15年以上(2010年現在)農薬や化学肥料・除草剤を使用しない圃場。品種は「コシヒカリ」。 〈B〉みどり共同購入会との提携がきっかけで、除草剤1回使用していた圃場を2006年から農薬や化学肥料・除草剤を使用しない圃場へ転換したもの。品種は「コシヒカリ」。 〈C〉石川県早生奨励品種の「ほほほの穂」を作付けしていますが、これは主に9月までに地元の農協に出荷します。新米として最も早く店頭に並ぶ米で、農薬は除草剤を1回使用、化学肥料も有機肥料と併用して使用。 みどり共同購入会でのお米の取り組みは、毎週注文できる「注文米」は〈A〉のお米を、「年間契約米」は〈B〉のお米をそれぞれ企画しています。また、年によって「注文米」が不足するときは〈C〉の早場米「ほほほの穂」を8月末〜9月上旬に企画しています。
■西屋さんの米作り(上記〈A〉〈B〉のお米)
富山県は兼業農家率が全国トップクラス、9割を超える県です。兼業が多いということは逆に農業を本業とするプロが少ない地域でもあります。兼業で他の仕事に忙しく農業では余分なことをしたくない。上から言われたとおりのことだけをやればいい。営農指導する農協も新しい時代に応じた対応が取れていない。そうした現状で西島さんが自分の思った米作りをするには、自らの力で歩む必要に迫られました。農薬を使用しない生産者や研究者がいれば訪ねていき、専門書を読み学んできました。米作りの失敗を繰り返す中でサラリーマン生活では得られない農業の魅力の取りつかれ、時間的な制約から兼業で試せなかったことをもっと実践してみたい。そんな思いから2004年に農業を専業にすることに決めました。専業で食べていくために栽培したお米は有機認証を取得し販路も独自に作ってきました。近隣の農地を借りて圃場を広げ、お父さんの代に耕作面積が2町だったものを13町歩までに増やしました。現在その圃場の約半分が農薬を使用しない圃場で、そのうち3.5町で有機認証を受けています。 自然相手のお米作りは1年間に1回しか経験できません。当初はアイガモ農法をやっていましたが、アイガモのヒナをカラスやハクビシンにやられ、半不耕機栽培を試してみましたが納得のいかないことがありました。現在はある程度稲の苗が丈夫になり雑草に負けない大きさになってから田植えを行い、田植え前に肥料にベアリッチという緑肥をすき込むようにしています。また、土壌分析をして足りない栄養分を入れることによって稲そのものの力を強くしています。そうした試行錯誤の中で自分なりの有機農業の形が見えてきたそうです。
■お米作りの楽しさを伝えるために
西屋さんは冬場ずっと田んぼに雨水や雪を貯めます。冬場は池のようになっているのでカモなど野鳥がやってきて雑草の種を食べたり、肥料となるふんを落とします。春になると、田んぼを5cmほど浅く掘り起こし、(半)不耕起栽培として苗を移植します。6月ごろ魚を発酵させた有機肥料を追肥し、草取りはしません。 田んぼに生育しているイトミミズやザリガニが雑草をかき回し枯らしたりフンをして土を豊かにしたりして自然の営みに任せています。前年の稲刈り前後、3ヶ月ほど田んぼから水を落としますがザリガニやタニシなど小動物は住み着いています。 お米は本来陸の上に育つ植物と言われていますが、水がある湿地でも育ちます。陸に育つ時の苗と湿地に育つ苗と根は別のもので、西屋さんの(半)不耕起栽培の特徴はイネが持つこの特性を生かし、イネは生きるけれど他の草は生きられないように水を管理しコントロールしています。また、多くの生き物と共存する事で農薬や化学肥料・除草剤を使わず、生命力のあるお米を育てます。<取材:2011年8月29日>
西島 守さん
美味しい米を食べるには自分で作るしかないと、
脱サラして後を継ぎ有機農業を始めた生産者です

2008年 稲刈り交流会にて 前列右から3人目が西島さんです

2008年8月息子さんと、左には有機圃場を知らせる看板が

自家生産のお米を使って麹も作ります
■36歳で専業農家となった西島さん
西島さんは実家が農家でしたが、農業を本業としたのは48歳のときでした。長くサラリーマン生活を経験し三重県に赴任した後、富山に戻ってきたのが1988年のことでした。帰省してもサラリーマン生活を続けていましたが専業農家になる決心をしたのは、30歳前に「美味しんぼ」という漫画を読んだことがきっかけです。会員の皆さんならご存知だと思いますが「美味しんぼ」は、今日のグルメブームを作った漫画だと言われ、現在104巻を重ねるロングセラーとなっています。主人公が“美食”を探し求めた末に、実は本当の美食とは日本の気候風土の中で育まれ、先人の知恵やモノを作る人たちの努力によって作り出されていることを漫画という表現をとおしてわかりやすく描いています。 本当の美食とは何か。西島さんは美味しく安全なお米を食べるには、自分でやってみるのが一番だと考えました。職業選択の自由があるといわれるこの国ですが、農業は土地と経験が必要で農家の子供でもなければあとを継ぐことが難しいのが実情です。西島さんは農家の長男だったので米作りをする選択は難しいことではありませんでしたが、大変だったのは両親との価値観の違いでした。両親が周りとおなじような慣行農法を続けてきた中で、一人で農薬や化学肥料を使用しない米作りを模索してきました。
■独学で有機農業の世界を学ぶ
富山県は兼業農家率が全国トップクラス、9割を超える県です。兼業が多いということは逆に農業を本業とするプロが少ない地域でもあります。兼業で他の仕事に忙しく農業では余分なことをしたくない。上から言われたとおりのことだけをやればいい。営農指導する農協も新しい時代に応じた対応が取れていない。そうした現状で西島さんが自分の思った米作りをするには、自らの力で歩む必要に迫られました。農薬を使用しない生産者や研究者がいれば訪ねていき、専門書を読み学んできました。米作りの失敗を繰り返す中でサラリーマン生活では得られない農業の魅力の取りつかれ、時間的な制約から兼業で試せなかったことをもっと実践してみたい。そんな思いから2004年に農業を専業にすることに決めました。専業で食べていくために栽培したお米は有機認証を取得し販路も独自に作ってきました。近隣の農地を借りて圃場を広げ、お父さんの代に耕作面積が2町だったものを13町歩までに増やしました。現在その圃場の約半分が農薬を使用しない圃場で、そのうち3.5町で有機認証を受けています。 自然相手のお米作りは1年間に1回しか経験できません。当初はアイガモ農法をやっていましたが、アイガモのヒナをカラスやハクビシンにやられ、半不耕機栽培を試してみましたが納得のいかないことがありました。現在はある程度稲の苗が丈夫になり雑草に負けない大きさになってから田植えを行い、田植え前に肥料にベアリッチという緑肥をすき込むようにしています。また、土壌分析をして足りない栄養分を入れることによって稲そのものの力を強くしています。そうした試行錯誤の中で自分なりの有機農業の形が見えてきたそうです。
■お米作りの楽しさを伝えるために
西島さんはお米を“商品”として売るだけでなく、お米作りを楽しみたい。消費者の人にも農業のおもしろさを伝えたいという思いを持っています。お米の品種もコシヒカリだけでなく、古代米やミルキークイーンなどの品種の作付けをしてきましたが、新しくササニシキの栽培も始めました。このお米はアレルギーの抗体反応が出にくいと言われています。このようなお米をみどり共同購入会の会員の人が探していると西島さんに伝えると、それに応えてすぐに作付していただきました。西島さんは、これからも雑穀や消費者が希望するいろいろな品種のお米を栽培したいそうです。そのためには一部の品種がうまくいかなくても他で補えるように、耕地面積を20町位に拡大したいと考えています。 有機米なら首都圏のお米屋さんへ販売したほうが高く売れ、自分で精米する手間もかかりません。そんな中で2006年からみどり共同購入会と提携したのは、地元で消費者の人たちに直接向き合うことができるからでした。2007年は会員の子供たちを田んぼに呼んで一緒になって除草や田んぼの生き物を観察しました。2008、2009年はお米を手刈りで収穫して、稲穂ごと天日に干す「はざがけ」体験を行いました。お米は天日で乾燥されることで更に美味しくなります。機械乾燥と違って今では限られた人しか味わうことができないお米ですが、刈り取りを手伝った人には後日、はざがけ米を食べていただきました。 西島さんは今でも両親と農業に対する考え方は違っているそうですが、農作業の中心を守さんが担うようになり、温かい態度で両親にも応援してもらえるようになりました。農業を主体的に選択する人たちが増え、生産者が自立してお米作りを行うようになれば、日本の農業も大きく変わっていくことでしょう。富山市の中心から車で30分もしない地の利を生かし、みどり共同購入会では今後も西島さんと会員の皆さんの交流の機会を作っていきます。
<取材:2009年9月>
まめっこ倶楽部
豆の町・北海道本別で広がるお母さんたちの輪

まめっこ倶楽部の皆さん

生産者の豆畑にも案内していただきました

出荷される豆は全て丹念に手で選別されます
■日本一の豆の産地・本別町
北海道十勝地方は道内の8割の豆を生産する日本一の豆の産地です。十勝地方の東北部に位置する本別町は畑作に適した黒々とした肥沃な土地で、内陸性の気候が豆の生産に適しています。年間の日照時間が長く、豆の成長期から収穫期にかけて昼は暑く、夜は涼しい一日の寒暖差が糖分をしっかり蓄え、甘くて風味豊かな豆を育てます。 そんな本別町で1997年に農家のお母さんたちで11名で始めたのが「まめっこ倶楽部」です。今まで生産者として畑で収穫したものを農協で出荷するだけでしたが、自分たちで作ったものを直接消費者に届けることによってお客さんの反応を知り、作る楽しさが増えました。当初はお母さんたちの小遣い程度だった売上げが、やがて子どもの学費を賄えるようになり、今では各生産者の作付けした面積の約5%が「まめっこ倶楽部」を通して販売されるようになりました。「まめっこ倶楽部」の豆は全国500人を超える通信販売の会員や道内のスーパーや直売所、料理店や加工業者の人たちに届けられます。 本別町で生産される豆の種類は豊富ですが、「まめっこ倶楽部」では8種類の豆を作っています。会員の皆さんには収穫して1年以内の豆を7種類お届けしていますが、もう一つ地元在来の「くりまめ」は、作りづらく生産量が少ないため限定品となっています。またパッケージを変えて販売しているのがキレイマメ。その名の通り光沢がありとてもきれいな「光黒大豆」という品種の黒豆で煮物に最適な豆。武蔵野美術大学の学生とのコラボで生まれ、豆の町・本別を代表する商品です。実はこの豆は「まめっこ倶楽部」の黒豆として出荷していただいている生産者もいるので、光沢ある綺麗な豆が当たったら会員の方もラッキーですね。
■まめっこ倶楽部の豆の美味しさの理由
今年の夏、北海道の旅で私(金谷)が「まめっこ倶楽部」の皆さんにお会いしたのは8月16日のことでした。現在、高齢化などでメンバーは7名に減りましたが、この日は代表の前佛さんを始め5人の方々にお会いしました。本別町の道の駅でお会いした後、市街地にある空き家に案内していただきました。ここは生産者の皆さんが自分たちの豆を持ち寄り選別し、梱包・出荷する作業所となっています。選別の様子を見せていただけませんかと私が声をかけると、三井さんと斉藤さんが机の上に豆を広げ手馴れた感じで虫食いや割れた豆、しわが寄っている不良豆を選別する様子を見せていただきました。通常は機械で選別しますが、「まめっこ倶楽部」の出荷では手間と時間がかかる手選別を実施します。機械選別だと皮がむけたものが混入する場合もあり、黒豆などは煮ると白くなってしまうそうです。 「まめっこ倶楽部」の豆のもう一つの特色は他の人の豆を混ぜずに、一つひとつの袋には生産者の名前入りのシールを張って出荷に責任を持つことです。生産者は1つの圃場では1つの品種を作付けし、農家ごとの品質管理を徹底するために1名の生産者が生産する豆の品種は2〜3種類と限定しています。豆は畑の生育条件が違うと吸水量などが違ってきて食味に影響します。また、豆の収穫時期が早いと煮たときにシワが寄って美味しく仕上がりません。畑で適期を見ながら収穫できるために、この方法によって完熟した豆を消費者に届けることができます。
■「まめっこ倶楽部」の畑の様子
人口約8700人の本別町では農家戸数は約400戸、その半数の方が耕地面積20ha以上の大規模な耕地面積を持つ農家です。ここから一番近い熊谷さんの畑に案内していただきくと、一面豆畑に囲まれた一角に熊谷さんの自宅がありました。小豆、いんげん、大豆、よくみるといろいろな豆が区画ごとに植えられています。大規模な北海道の畑作地帯の中でこじんまりと作っていた印象がするのは、「まめっこ倶楽部」の出荷用の圃場として分けられていたためでしょうか。まだ、夏の名残がするこの日は小豆やいんげん豆などの花が咲いていました。秋から豆の収穫が始まり金時豆が9月上旬、続いて10月上旬に小豆・大納言小豆が、10月末ごろには大豆類、11月上旬に花豆と次々に実りの季節を迎えます。豆は収穫後脱穀され豆殻や葉や小石など不純物が除去され、水分を調節した後選別にかけられ製品となります。 畑を見学させていただくとあぜや畑の中には草も生えていて、除草剤に依存せず草取りをしながら手間を掛けて栽培している様子がわかりました。熊谷さんは一般の豆農家に比べて除草剤は半分に減らしているそうです。「まめっこ倶楽部」の生産者の皆さんは農薬は予防的に使用せず防除が必要な場合に使用します。病気の発生を防ぐには土作りも大切。化学肥料の使用を抑え有機質肥料を積極的に入れ、輪作体系を守っています。豆を収穫した後は、連作せずに4年の間じゃがいもやビート・小麦などを作付けします。 こうして大変な手間を掛けて一つの作付けされた豆が製品となり出荷されます。本別町では、町ぐるみで豆を通した取り組みが進められ、自分たちで作った豆から豆腐やみそ・羊羹を製造する「本別発 豆ではりきる母さんの会」もあります。また、帰りに立ち寄ったお菓子店「岡女堂」は十勝産の豆を使った13種類の甘納豆などいろいろなお菓子を販売。その品揃えの豊富さと豆菓子の多様さには驚かされました。町民一人ひとりが豆を通して消費者の人たちと繋がりたい、そんな思いをいっぱい受け止めることが出来る町でした。
<取材:2011.8.16>
置田 敏政・愛子さん
自然農法の草分け置田敏雄さんの後を継いだご夫妻と
土作りへの思い

生産者の置田愛子さん

秋に収穫された里芋は貯蔵され春まで出荷されます

切干大根と製造風景
■先代、置田敏雄さんの農法
置田家といえば、先代の敏雄さんは富山県はもとより全国でもその名が知られています。農薬や化学肥料を与えず動物性肥料も使わずワラや落ち葉、枯れ草など周りにあるものを循環させて堆肥にする農法を続けてきたからです。有機認証制度ができた最近では自然農法という言葉が使われることはあまりありませんが、今でも画期的なこの農法を60年以上前から敏雄さんが続けてきたました。米作りでは田んぼにネットを張り、その中にアイガモを飼育して除草する、全国のアイガモ農法の先駆者でもありました。 2001年に敏雄さんが亡くなられ、現在は息子さん夫婦が農業の中心となりました。夫の敏政さんは田んぼや機械仕事などの段取り、奥さんの愛子さんは畑仕事やこまごました作業をそれぞれ分担しています。今でもお父さんの敏雄さんの精神的な支えは大きく、2町歩の田んぼと約7反の畑は農薬や化学肥料を使わず作物を育てています。
■土作りへの情熱と農家の加工
置田家を訪ねて驚かされるのは、約60坪くらいの広さの大きな自前の堆肥場を持っていることです。屋根がありコンクリートが打たれた倉庫の中では、堆肥切り返しのためのホイールローダーが入っており、発酵の度合いに応じて何段階かに堆肥が仕分けられています。最初の堆肥には臭いもありましたが、次の段階に行くと湯気が上がるほど高温に発酵し、最後には臭いも消え黒々と土のような状態になっていました。 置田さんの農場で使われるのは主に2つの堆肥です。1つはもみがら堆肥で、もみ殻・ぬか・おからを発酵させたものです。作物の根が浅い菜っ葉などを栽培するときに根元を覆うようにして使うと雑草も生えないし、徐々に効いてきて効果が高いそうです。もう一つは大豆堆肥。これは規格外の大豆とぬかを混ぜて発酵させたもので、チッソ分が多く良く効くそうです。 みどり共同購入会に出荷される野菜は、夏場はトマト・きゅうり。秋〜冬場になると白菜や大根・さつま芋・里芋などがあります。特に年を越したさつま芋はねっとりして絶品です。さつま芋や里芋は貯蔵をして寒い富山の冬でも傷まないように工夫しています。また、当会の要望によってみその仕込み量を増やしていただき、年間を通して北陸伝伝統の麹味噌をお届けできるようになりました。置田さんの自作の大豆を使用し、地元の麹屋さんで一年分加工してもらい、代々伝わる蔵の中で熟成しています。厳寒期を過ぎると切り干し大根も出荷されます。規格外や余った大根を愛子さんが手作業で皮をむき、千切りにして天日で干したものです。置田家ではこんな風に昔ながらの南砺の農家の知恵や暮らしが息づいています。
■置田さんのお米とこれからの課題
置田さんの田んぼは5年前に基盤整備が行われ、機械が入りやすくなった反面、区画整理して土壌が変わってしまいました。生産者の高齢化と後継者不足の末に地域で選択したことだったとはいえ、長年改良してきた土壌が変わってしまったことは残念なことでした。「今まではおじいちゃんが作った理論と土作りによって農家をやってきたが、これからはさらに自分たちで微生物のこと、作物の味や健康面までいろいろ考えてやっていかないといけない」と愛子さんは明るく話をされました。置田家では世代交代したことによって、新たな模索が始まっています。土壌を改良するためにカニ殻やカキ殻などカルシウムの補給も考えていきたいとのことでした。 置田さんのお米は精米施設を持っていないので玄米10kgの企画でしかお届けできませんが(注:現在は白米・五分搗き・玄米を玄米換算5kgで企画しています)、甘味が強いお米で南砺の土地の豊かさを感じさせます。最近では、コイン精米機や家庭用の精米機もありますから、玄米食以外の方でもぜひ、ご利用いただければと思います。
<取材:2010.2.28>
樋口果樹園 樋口英夫さん
農薬を減らしたなし栽培のために
独自の農法をすすめる樋口さん

樋口果樹園のご家族の皆さん

樋口英雄さん

樋口さんが独自に使用するサンラテール[左]と鮭のペレット
■新潟の河川敷にある樋口果樹園
刃物で有名な新潟県三条市の郊外にある果物専業農家が樋口農園です。この地域は日本一の大河・信濃川によって形成された沖積平野が広がり、肥沃な穀倉地帯では稲作の他、新潟県下でも有数の果樹栽培地域となっています。国道8号線沿いの代官島で直売所を出すのが4代目となる樋口英雄・順子さんご夫妻です。お二人は息子さん夫婦と2世代で2haの果樹栽培をしています。 面積の2/3は梨で、残りはももとぶどうを栽培しています。みどり共同購入会の会員の皆さんには8月から12月にかけて次のような梨を種類を変えてお届けしています。 8月下旬〜「幸水」 9月中旬〜「豊水」「二十世紀」 10月中旬〜「南水」「新高」 11月中旬〜「新興」 11月下旬〜「ル・レクチェ」
■樋口果樹園の農法の特色
樋口英雄さんはこの地で、糖度が高く農薬の使用量を減らした独自の農法を行ってきました。一つは土壌の保全や土作りを推進するNPO法人「自然生の会」がすすめる有機物と土壌改良剤を一緒に堆積発酵させたミラクルソイルを多量に購入し土壌の改良を進め、現在はサン・ラ・テールと呼ばれる土壌改良剤を入れています。これは山形県高畠町二井宿から産出される天然二次粘土鉱物で土の保水力を高めチッソ分の過剰な吸収を防ぎ、果樹がじっくりと品質の高い生育を助ける土壌作りをします。また、肥料として信濃川に遡上し採卵した鮭をペレットにした肥料などを加えてミネラル分などを補います。その他、籾殻や米ぬかなど有機資材を配合し、じっくり2年間寝かせた堆肥を使用します。そのため化学肥料は少量しか使いません。 乳酸菌のもつ抗菌作用を利用した「乳酸菌農薬」などで病原細菌を抑えたり、毛虫の卵を孵化させず化学農薬の使用を抑えています。農薬の散布は慣行栽培の半分程度年間11〜13回に抑え、園内では除草剤は使用しません。梨の枝なども冬場に剪定して粉砕機にかけ再び土に還します。
■新潟特産の洋梨「ル・レクチェ」
洋梨ではラ・フランスが有名ですが、黄色(ブライトイエロー)の洋梨「ル・レクチェ」は見た目、形、糖度の高さ、珍しさから贈答品として高値で取引されている洋梨です。10月ウグイス色の状態の果実を収穫し40日位涼しい場所(常温)で追熟すると、鮮やかなブライトイエローになり食べ頃となります。特徴はみずみずしさと豊潤な香りと柔らかさ、甘さ。樋口農園の主力の梨で、全体の1/7、3反位の面積で栽培されています。春に受粉させ、6月に袋を掛け、夏には不要な枝を落とします。収穫は10月半ばから。みどり共同購入会では周年を通して利用していただいているので価格は割安になっています。 みどり共同購入会では常温で梨を配達していますが、これは樋口さんのアドバイスによるものです。梨は長く冷蔵庫に入れておくと冷えすぎて味が落ちるそうです。食べる30分くらい前に冷蔵庫に入れておくといちばん美味しい状態で食べていただくことができるそうなので、おためし下さい。
<取材:2009.7.19>