おやつ堂 のあ 林理香さん
手づくり無添加の焼き菓子屋さんが伝えるメッセージ
自宅を改装した一角ではお菓子以外にフェアトレード商品も置いています。
自宅の看板は手作り感いっぱい!
卵の力で、ベーキングパウダーなしで膨らませます。
■「おやつ堂 のあ」は宇奈月町にある小さなお店
おやつ堂のあの林さんとは「アースデイにいかわ」で出会いました。美味しく個性的な焼き菓子のお店を出店されていることから声をかけ、みどり共同購入会と提携するようになりました。店主の林理香さんは黒部市宇奈月町内山在住。内山地区は宇奈月温泉下流にある黒部川沿いの集落の一つです。市街地ではなくこんな所でどのようにお菓子を作っているのか、とても興味がありました。訪れたのは提携が始まってすぐの2008年7月4日のことでした。富山地方鉄道の内山駅に行くとこの周辺は何十年も昔から変わらずレトロのままで、タイムスリップしたような感覚がしました。駅から歩いても5分くらいの奥まった一軒家が「おやつ堂 のあ」の林さんのお店。自宅の一部を改装して工房と販売スペースが作られていました。
この日林さんは、みどり共同購入会の注文分のビスコッティ作りをしていました。まず卵と砂糖を混ぜたものにナッツやドライフルーツ、小麦粉を加え生地をまとめます。その生地をなまこ型に成形後、何回かオーブンで焼くことによって水分を飛ばし固いお菓子となります。ビスコッティはパンの代わりの携帯保存食として利用されてきたお菓子です。柔らかいお菓子が好まれる時代でどれだけ会員の皆さんに受けいけられるか林さんは心配していましたが、2回目もかなりの注文がありました。「アースデイとやま」や護国神社ののみの市の出店でも「美味しかった」と何人かの会員の方から直接声がかかったそうです。
■「おやつ堂 のあ」のお菓子づくりの特色
林さんは菓子学校を卒業後、会社勤めをしながら地元の喫茶店にお菓子を卸していましたが、3年前にお菓子作りを専業にしました。現在はインターネットでの直売やイベントでの出店販売を行っています。出店は労力もかかりますが、お客さんと直接出会って意見を聞くことができるので一番おもしろい出合いだそうです。
「おやつ堂 のあ」のお菓子作りにはいくつかの特色があります。一つは販売するお菓子の約2/3は焼き菓子系ということです。スポンジにクリームを挟んだクリーム系のお菓子も作りますが、焼き菓子は素材そのものの味が出るのでごまかしがきかない分野であり、噛むことの大切さを訴えたいので林さんは特に力を入れているそうです。
二つめは自分が感じていやだと思う素材は使わずに、納得できるものだけを使うということです。一般には膨らみを良くするために使われるベーキングパウダーもアルミフリーであっても使いません。原料は一つ一つ自分で素材を集めます。粉は金子製粉の国産・中力粉を使用します。金子製粉の粉は低速回転で熱を加えずに丁寧に挽かれているので小麦粉自体に味があり、麦の風味・素朴さが感じられ、お菓子にした時に粉そのものの美味しさが感じられるそうです。また、オーガニック原料は安全なだけでなく食味としても優れており、例えばナッツは防腐剤は使用しないのでいやな臭いがしなかったり、あんずは漂白されないので濃厚な味と香りがあり、そのため美味しい菓子ができるそうです。
三つめは全て個人で手作りしていることです。同じものでも作り手が変わると品質も変わり、慣れた人なら味の違いもわかるそうです。また、気持ちが入っていないとお菓子作りに失敗することがあり、林さんはそれを「つくり手が浮気する」と表現しています。別の言い方をすればお菓子が“嫉妬”するのかも知れません。確かに料理教室などで材料は同じなのに、出来上がったものは作り手それぞれによって違ってきます。オーブンで焼く以外は手作業の工程が多いだけに、直接作り手の力(パワー)や気持ちが製品に出るのでいつも手が抜けないそうです。でもそこが手作りの良さであり難しいところでもあるようです。
■お菓子から広がる世界
林さんにこれからどのようなお菓子作りにチャレンジしたいのかをお聞きしました。「いろんな方たちの声にお応えできるように現在勉強中ですが、マクロビオティックやアレルギー対応のお菓子も作っていきたい」「また、ベーキングパウダーの代わりに自家製酵母の発酵の力を借りてカリカリ感が多い、ビスケットのようなスコーンを2008年の秋からお届けできるように準備したい」とのことでした。
自分(たち)の食や生活を全て変えることは難しくても、おやつからなら始めやすいのではないか。良くないとわかっている素材を使ってお菓子を作るのは心苦しい。そんな想いが今の「おやつ堂 のあ」のお菓子に繋がっています。最近、林さんは素材の品定めも大事だが、食べ物にこだわりがある人もそうでない人も共有できるものが、食べ物への感謝・食べることへの感謝ではないかと気づいたそうです。感謝をしていただくというのは、何より心の栄養になるとのこと。そんな日々の思いや、食や環境のこともブログで綴っています。
●「おやつ堂 のあ」ブログ http://blog.goo.ne.jp/oyachudou-noha/
<取材:2008.7.4>
社会福祉法人「むつみの里」
事業の柱として成長してきた「むつみの里」のお菓子作り
通所者の皆さんがクッキーを型にはめています。
オーブンは家庭用より少し大きな位
美味しいガトーショコラが焼けました
■「むつみの里・であい工房」のケーキ作り
バレンタインシーズン目前、私(金谷)が2008年の1月14日にケーキの打ち合わせと兼ねて「むつみの里」にお伺いしました。お菓子は曜日を変えて作っているそうで、2名の通所者の方とスタッフの池田さんがガトーショコラを作る準備をしていました。ケーキ台の上にいくつかの材料が並び、まるで家庭でケーキを作っているようなこじんまりとした感じでした。
ガトーショコラは卵白にグラニュー糖を加えメレンゲを作り、卵黄にはグラニュー糖と生クリームを混ぜます。それぞれ大きなボールに入れよく混ぜた後、小麦粉やココア、溶かしたバターやチョコレートを加えます。生地がうまく溶け合うようにひたすらかき混ぜるのがコツ。手際よくそれぞれ混ぜる人と洗い物をする人が分担され、混ぜ合わせたものは計量され大・小の型に入れます。容器を揺らしたり箸で生地をかき混ぜ、表面を平らにします。こうすることで焼き上がりが均一なケーキができます。その後、オーブンに入れて40分ほど焼くと出来上がり。1回の工程で大きなケーキの型だと10個できます。
「であい工房」のケーキ作りは生地の泡立てに泡立て器を使う以外は、全て手作業。見ているとなかなかの力仕事です。バレンタインの季節には2台のオーブンがフル稼動するそうです。ガトーショコラは「であい工房」のケーキでも人気があり定番品となっていますが、みどり共同購入会の会員の皆さんにお届けするのはノヴァのチョコチップを小型ケーキで17gも使った特別仕様です。このチョコレートはココアバターの含有量が多く乳化剤を使っていないオーガニックのクーベルチョコ。スタッフの方のお話では市販のものと風味がぜんぜん違い、これを使うと更に美味しくなるそうです。
■事業活動の3つの柱
「むつみの里・であい工房」の主な仕事は3つあります。事業収入は、内職などの受注作業を3としたら、ケーキやクッキーなどの製造が2、ぼかし肥などが1の割合となっています。内職は落ち着いてみんなでコミュニケーションをとりながらできます。会のスタートから行っている大切な仕事で、同じ作業を繰り返すことで入所者の方の職業訓練や生活のリズムを作ることができます。
1995年からはぼかし肥の工房を建設し販売を始めました。「であい工房」では生の籾殻は発酵が悪くなるので入れずに炭にした燻炭に変え、発酵菌をよくするため嫌気性のEМ菌だけでなく好気性の菌を入れています。こうすることで湿気が多く冬が寒い富山県の風土に合うぼかしを開発することが出来ました。
1997年からケーキ作りの販売を始め、現在国産小麦や北海道産バターを使ったクッキー製造も行っています。ケーキやクッキー・マドレーヌは安心で安全で、“うまいもん”(美味しいもの)を目指して改良してきました。クッキーは四角い型に入れ手作業で格子状に裁断し食べやすくするとともに、生地をいったん冷凍することでサクサク感を出しました。販売はイベント関係の出店が多いのですが、上市町の役場や総曲輪通りのチャレンジショップなどに置いています。桜の花や葉の塩漬けを入れたさくらケーキ。作業所の前の栗の木から収穫した栗を使った栗ケーキなどユニークなケーキもあり、最近お菓子の売上げが伸びています。
■「むつみの里」の活動の広がりと今後
「むつみの里」は上市町の社会福祉法人で、就労継続B型の「であい工房」と地域生活センター「自然房(じねんぼう)」を運営しています。2つの施設で9名のスタッフと中新川郡・富山市の5市町村から44人の方たちが通所しています。地道な取り組みの中で、精神・知的障害者を対象にした仕事作りや就労支援から生活相談や交流・創作活動の場を作ってきました。2008年4月にはグループホーム「正印(しょいん)」を開設し、家族的な憩いの場を提供します。会の出発は上市厚生病院(現在のかみいち総合病院)の精神科の患者さんたちの退院後の居場所作りからでした。1989年に家族会の皆さんが中心となって2名のスタッフと共に6畳3部屋の民家を借り小規模作業所「むつみ共同作業所」を開設し、2002年に社会福祉法人として認可され現在に至っています。
20年が経過し「むつみの里」の活動は地域の人たちに支えられ着実に広がってきましたが、厳しい課題もあります。2006年に制定された障害者自立支援法によって、障害者の作業所は自立支援給付対象事業と地域生活支援事業に分けられました。行政から目的に応じて補助金や給付金が支給されるようになり、「であい工房」の作業所は自立支援給付事業として障害者がサービスを利用すると所得に応じた1割の負担を迫られるようになりました。生産性が上がらなければ少ない賃金では施設利用料が払えず、障害者が家庭を出て社会参加の道も閉ざされてしまう事態となりました。そんな中で「むつみの里」施設長の碓井裕子さんから「通所者の賃金はとても安いが、せめて通所者が負担する利用料以上に賃金を増やしたい。そのためにも今まで以上に自立した事業を増やしたい」と抱負を語っていただきました。
みどり共同購入会ではフェアトレードの商品だけでなく、こうした福祉作業所の商品も取り組みを広げていきたいと考えています。現在、「むつみの里・であい工房」とクッキーやマドレーヌなどのお菓子の取り組みも行っています。
<取材:2008.1.14>
NPO法人「わっぱの会」
障がい者と健常者が共に生きるために始まった
パンと菓子の工房です
「ワークショップすずらん」でパンの成形をしていました
わっぱんパン作りの様子
わっぱの会 クッキーの製造
■パン工場を見学しました
みどり共同購入会では「NPO法人 わっぱの会」と、クッキーなどの洋菓子や農産加工品まで年間を通していろいろな品目に取り組んでいます。2008年1月4日に「わっぱの会」の中心施設の名古屋市北区大曽根にある「ワークショップ すずらん」に私(金谷)と風屋共同購入会の杉浦さんが訪ねました。 ここは1つのビルになっていて、1階がパン工場、上の階は生活の場として10名ほどの人たちが住んでいます。この日「わっぱの会」ではパン工場だけで仕事が行われており、中では15名ほどの人たちが働いていました。そのほとんどが障害がある人たち。なかにはかなり重度の身体障害者の方もいましたが、パン生地をこねたり、焼釜に入れるトレーに油を塗ったり、容器を洗ったり……皆さん自分なりの仕事を見つけ働いていました。案内をしていただいた大倉さんのお話によると「正月明けなので人は少ないが、いつもは3倍くらいの人たちが働いている」そうです。障害者の作業場では職員と障害者の立場が明確に区分けされ、障害者を管理したり指導することが多いと思いますが、そうした光景とは無縁な様子が感じられました。 「わっぱの会」では事業収入を得て働く人々に払う給与のことを分配金と呼んでいますが、ここでは毎月12〜18万円のお金を保障しているそうです。そして、全体で約180名の人たちが働いていますが、そのうち約6割は障害を持つ人たちだそうです。
■3人の若者から広がった取り組み
「わっぱの会」が生まれたのは1971年のことです。障害のある人もない人も共に生きていくことができる社会に向け、1人の障害者と2名の健常者が一緒に暮らしたことが始まりでした。やがて活動の輪が広がりおおぜいの市民の協力を得て「ふくえ共同作業所」が建設されました。仕事はダンボールの加工が中心でしたが、1984年に新しい仕事として国産小麦使用・無添加パンの製造を始めました。パン製造は今では「わっぱの会」の中心的な事業となり、クッキーやクラッカー・洋菓子などの製造販売も行っています。現在「わっぱの会」では6つの共働事業所と障害者の就労援助・生活援助として「なごや職業開拓校」などの場を持ち、12の生活共同体を運営しています。 事業を進めると共に「わっぱの会」では障害者への差別や偏見をなくすための運動や、障害者が地域で暮らしていける社会への取り組みも行っています。車いすの市議会議員を議会に送り名古屋市でバリアフリーの政策を実現させ、96年には市に重度障害者への介護サービスを開始させました。一般企業への障害者の就職支援にも力を入れ毎年数十名の就労を実現してきました。
■ビジネスセンスある商品の開発
「わっぱの会」では、製造される商品を消費者のニーズに応え市販品とも競合できるものにするために毎月話し合いの場を持っています。「わっぱん」は共同事業所としては初めての国産小麦を使用したパンですが、今では天然酵母パンからアトピーの子どもたちにも対応できるパンまで全部で数十種類のパンを扱っています。クッキーはいち早く、原材料のマーガリンをトランス脂肪酸の値がほとんどないショートニングに切り替えました。チョコレートは乳化剤が無使用の第三世界ショップの製品にしました。小麦アレルギーの子どもたちのために米粉だけで作った製品も試作中です。一般企業で2年間働いてここに飛び込んだ「クッキー工房ふくえ」の前田さんに職場の魅力を聞くと、「みんなで困ったときに助け合う繋がりと土壇場の強さがあるところです」という答えが返ってきました。 「わっぱ知多共働事業所」は2000年に生まれました。農場は6haあり約30名が就労していますが、主に精神障害者の方々が働いています。スタッフの島田さんのお話では、昨年は農薬を使用せず露地栽培で育てたイチゴジャムを1トンほど作ったそうです。農場では収穫された加工品の製造と自家製製粉機で小麦の製粉を行い、県内外の自然食の業者などに卸しています。小麦粉は県内の製麺業など業務用として扱ってもらえる業者の方が増えつつあります。今後はパンやクッキーなどの小麦を農場産のものに切り替えるのが課題だそうです。 「わっぱの会」の製品は共同購入グループや生協などに卸しているほかは、引き売りや駅前などで直売しています。クリスマスの定番となっている「ケーキ台」の受注数などを聞くと、県外の販売先ではみどり共同購入会は大口のようでした。私たちは無添加で温かみがある手作りの製品として企画してきましたが、お話を聞くとさらに食べ続けることで応援する意味を感じることができました。
<取材:2008.1.4>
パン工房「ブレッド 」 堀 貞一・治美さん
自然体で営む堀さんご夫婦のパン工房ブレッド
ブレッドのお店と堀貞一さん
ログハウス風の建物のブレッドの店内
息子の竜平さんも後を継ぐようになりました。
■夢だったお店をオープンしました
店主の堀貞一さんは若い頃からパン好きだったそうで美味しいパンを求めて金沢市まで買いに出かけることがよくあったそうです。それならいっそのこと自分でパンを作ってみようと、7年間勤めた鋳物の職人の仕事を止めて1年間パン作りの修業をしました。その後、1991年に高岡市中川原で最初のお店を始めました。パンを焼くだけでなく、コンサートやギャラリーなど人が出会う空間を作りたいと現在の西田地区に移転したのが2004年11月のことです。お店では長男の竜平さんが跡を継ぐことになり、奥さんの治美さんなど計8名のスタッフで切り盛りしています。ログハウスのお店ではゆったりとした喫茶スペースも設けられ、ご夫妻の人柄からかいつもお客さんでにぎわっています。
堀貞一さんは登山やハイキングが趣味で十数年間山に行っていますが、今はお店が忙しくなかなか休日に外に出かけられないそうです。その分、週2回太極拳に通い自然のリズムを自分の中に取り戻そうとしています。「人間が自然の一部であり、自分の意思でやっているように見えても自然の大きな力の中で行っているんです」と自然体で堀さんは仕事をこなしていきます。
■街のパン屋さんとしての一日
ヨーロッパはパン食の文化が息づいており、街のパン屋さんで売られるパンは食事パンやチーズやワインなどお酒に合うパンが今でも好まれています。それに対して日本のパンは菓子パンに代表されるおやつパンや惣菜入りのパンが中心で、その生地は白くて柔らかいものが主流です。「ブレッド」は食材として利用されるパン店さんを目指し、地元のフランス・イタリア料理のお店にもパンを届けています。
街のパン屋さんといっても最近では、早い時間からたくさんの種類を並べるために冷凍の生地を工場から運んでそのまま焼くだけというところも増えています。「ブレッド」は惣菜関係のパンの種類は少なく10時から店をオープンするので、朝は比較的遅く6時過ぎに窯の火入れを行います。7時くらいから次々にパンを焼き上げ、14時くらいには全てのパンを品揃えできるようにしています。堀さんたちがほっと一息つけるのは16時ごろ。その後も翌日の食パンの生地をこね、お店は20時まで開けています。こんな堀さんのお話を聞くと街のパン屋さんは毎日働く時間が長時間、やっぱり好きでないと勤まらない仕事だと思いました。
■みどり共同購入会の会員の皆さんのために焼くパン
お店で販売している天然酵母パンの定番は、くるみパンとカンパーニュです。天然酵母パンの種類が増えるのは月1回、みどり共同購入会の会員向けの企画があるときです。特に石窯で焼いたパンは薪をたくさん使い、採算を考えたら合わないので、堀さんは「趣味の世界です」と笑って話されます。石窯の遠赤外線効果で焼いたパンは時間がたっても香ばしく、美味しさが長続きするので会員の皆さんにも好評です。お店に臨時に品揃えされるのを楽しみに待って買いにこられるお客さんもいるそうです。
取材の後、堀さんから「モノを求めてつながっているだけでない、会員とみどり共同購入会とはお互い尊重しながら続いてきた“縁”をこれからも大切にしたい」との言葉を頂きました。古くからの会員のアドバイスとして、大切に受け止めていきたいと思います。
<取材:2009年12月>
Meister かきぬまs Backstube 柿沼 理さん
ドイツで学んだ柿沼さんは
日本に合った自家製天然酵母のパン作りを進めてきました。
パン工房スタツフの皆さんと (左端が柿沼さん)
パンとお菓子は全て石窯で焼きます
■お店誕生までの歩み
「Мeister かきぬまs Backstube」のお店は名古屋市千種区にあります。少し離れた名東区には柿沼 理(おさむ)さんのお父さんが代表を務めるオーガニック・カフェ「ポランの広場」と自然食品店「Sonne・Gaten」があります。この3つは地元の生産者の野菜や自然食品の販売、調理を始め、新しい生活文化の発信の場として地域の人々に親しまれています。
ここのパン作りの始まりは20年以上も前になります。お母さんの中久木さんが子ども達に安心できる食べものを与えたいと、国産小麦や無添加・農薬不使用の食材を使ってパンを焼き、自然食品の販売を始めました。その開店資金は友人たちから集めたそうです。中久木さんは自ら経験を積む中、独自にパン作りを学んでいきました。当時、天然酵母と言えば星野天然酵母以外流通していない時代でしたが、原料の酒精の強い臭いを感じるため、酵母は自分でぶどう酵母を作ってパンを発酵させていました。
そんな母親の姿を見てパンの修行を始めたのが息子の柿沼 理さんです。柿沼さんは1992年に大阪あべの辻調理師専門学校を経て、翌年に辻製パンカレッジを卒業しました。そして修行のためにドイツに渡ります。製パンと製菓のマイスターの資格を取得した柿沼さんが日本に戻ってきたのが2004年のことでした。しばらくは「ポランの広場」の中でパンの製造をしていましたが、2006年に現在の場所で「Backstube」として開店しました。
■ドイツのパン作り
私(金谷)が取材したこの日(2008年1月4日)、柿沼さんにドイツのパン作りについてお話をお聞きしました。ドイツは厳格な職人(マイスター)制度を守っている国です。パン職人となるために最初は見習いから始め、2年半から3年の経験を積みます。その後、試験を受け合格するとさらに同じ期間修行し、再び試験を受け合格した者だけがマイスターとして認められ、自分のお店が持てるようになります。こうした制度があるのでドイツではパン職人の人たちの間で一定の知識と技術が共有され、パン作りのレベルが一定の水準に保たれています。様々な技術や経験を持った人が共存し、すぐにお店が出せる日本とは大きく異なる点です。
小麦を使った長い食文化の中で育てられてきたドイツのパンには、日本の一般的なパンとの違いもいくつかあります。ドイツのパンは食事の主食であり、パンの中には余計なものを使いません。日本のパンのようにパンの上に惣菜や菓子材料を乗せたり、パンの中になにか挟むことはあまりありません。ただ、ドイツパンといっても全てがリーンなパンではなく、最近では乳製品や卵を入れたパンや菓子パンの割合も増えているそうです。
柿沼さんはドイツパンの技術は受け継いでも、日本のパン屋として作るものはハードなパンとソフトなパン、半分ぐらいの割合でいいと考えているそうです。
■「Backstube」がめざすもの
店内にはパンを焼くための石窯が2台設置されていました。当初はガス窯と併用する予定でしたが、石窯と普通の窯でパンを試し焼きしたところ食味の違いに驚いた柿沼さんは、迷わず全てのパンや焼き菓子を石窯で焼く決心をしたそうです。私が「石窯パンは窯が小さく温度管理の手間もかかり、技術的に難しいのではないですか」と尋ねると「自分としてはそんなに難しいものだと思っていないのです」とさらりと答えが返ってきました。小麦についても「アメリカの小麦と違ってドイツの小麦はグルテン分が少ないので、国産小麦でも今までの技術が生かせていろいろなバリエーションのものが作れます」とのことでした。お店ではオーガニックのライ麦粉以外の小麦粉は岩手県産南部小麦を使用しています。
私は「Backstube」のパンは天然酵母を使用したパンの中では時間がたっても酸味や雑味がほとんどないパンだと感じていました。しかし今ではお店で作っていたドイツパンについて柿沼さんは酸味を多少感じていたため完全に納得できておらず、これから新しい試みを始めます。ドイツで毎日作っていたライ麦を使用した本格的ドイツパンを作ってみるために、今後毎月何種類かは酸味が出にくい有機天然酵母と自家製天然酵母をブレンドして発酵させるとのことでした。
奥さんの幸子さんもパンとお菓子作りのマイスターの資格をもっていらっしゃるとか。今は子育てまっ最中の様子でしたが、今後はパンに続いて美味しい焼き菓子の種類も期待できそうです。
現在、みどり共同購入会では毎月2回、10〜15種類の「Мeister かきぬまs Backstube」のパンや洋菓子を企画しています。食パンやライ麦パンはこうした事情で酵母の配合が変わり、更に美味しくなりました。リーンな食事パンからカラフルな菓子パンまで、一つ一つのパンの個性が実感できるお店です。
<取材:2008年1月4日>
有限責任事業組合 ビーフレンドとやま 佐伯元さん
実家がある富山に戻った佐伯さんが始めたのは
ミツバチを通してのネットワーク作りでした
採蜜をする佐伯さん
蜂が蜜をためています
富山市の住宅地の中にあるミツバチの巣箱
■佐伯さんの軌跡
富山で養蜂業を営む43歳(注: 2009年現在)の佐伯 元(さえき げん)さん。10年前に富山県立山町の実家に戻り母親と同居することになるまでいろいろな職業を経験しました。サラリーマン時代から農業に関心があり、「日経ビジネス」という月刊経済誌に紹介された安全な食を求める共同購入組織「大地を守る会」に5年間在籍しました。ここでは様々な生産者との出会いがあり、佐伯さんにとってここは生き方の指針を決める“学校”のようなところだったそうです。ここでドイツの塗装メーカー「リボス」の存在を知ることになります。外国では口に入れても安全な素材で建築の塗装材料が作られていることに驚き、その後、建築関係の仕事に就きこうした分野の勉強を始めました。
久しぶりに戻った故郷は休耕田が広がり、佐伯さんは中山間地の荒れた風景を目にすることになりました。ヨーロッパにホームファーミングという言葉があります。ガーデニングから一歩進んで食の自給だけでなく、農的な生活の分野を広げ地域の中でも地場消費を目指していく考え方のことですが、ヨーロッパではこうした形態で仕事を作っているグループが存在します。高齢化が進む日本であと10年もすれば農業をやる人がいなくなってしまうのではないか。佐伯さんは未来を見据え新しく農業を始める人たちの基盤を作りたい、その核にミツバチを飼うことを据えていこうと考えたのでした。
■「ビーフレンドとやま」の活動
佐伯さんは無償のボランティアでなく社会貢献とビジネスを両立させる方法として、2005年に有限責任事業組合(LLP)の「ビーフレンドとやま」を設立しました。有限責任事業組合は新規事業拡大のため経済産業省が2005年の8月に認可したばかりの事業組織です。従来の会社組織より出資者の自由度が高く、非課税で利益が出た場合は出資者で分配できるのも特徴で、富山県で2番目の申請となりました。今の日本で公共性の高いことの一つが、食料自給率を上げていくことです。そのために新規就農者を地域で増やしたり、農業に理解ある消費者を増やすことが「ビーフレンドとやま」の活動目的です。
「ビーフレンドとやま」は主に2つの活動を行っています。蜂蜜を中心とした農産物の販売と蜜蜂の飼育を広げていく啓蒙活動です。蜂蜜はみどり共同購入会の他に主に直売所やお店、インターネットでの販売を行っています。今後は加工品や中山間地で会員一人一品ごとの特産品を作り、直販所での販売網を広げ地元の農産物の流通を広げていきたいと考えています。上市町に加工所建設も進めています。
養蜂は佐伯さんが小矢部市の養蜂家から飼育法を学びました。流通組織で働いた関係で生産者と消費者、お互いが求めているものを知りうる立場にいたことが幸いしました。外国と比べて養蜂業の伝統が短い日本では、佐伯さんはミツバチの血統や採蜜の方法・道具などで改良する点があることを感じました。消費量も隣の韓国の1/5位しかなく新規に参入できる余地があり、きちんとしたものを作れば消費も増える状況にあります。家業として続けられることが多かった国内の養蜂業ですが、「ビーフレンドとやま」はミツバチの飼い方を一般の人たちに広め、県内では30名余りの人たちが新たにミツバチを飼い始めています。そして、蜂蜜だけでなく加工品の蜂蜜漬けや蜜ろうを使った石けんやワックスなど様々な用途の製品化を模索しています。
■現在の土遊野農場と共同購入会の取り組みミツバチから広がる夢、菜の花から広がる夢
佐伯さんは蜜源を求めて朝日町の篤農家と知り合いました。ここでは2009年に3町歩の菜の花が植えられ、翌年には4町歩に面積を広げる予定です。朝日町では地元JAを通してなたね油の製油も行うようになりました。春の景観を彩る菜の花はなたね油の原料だけでな、BDF燃料などに利用され、「菜の花プロジェクト」などで全国の地域おこしの象徴となっています。佐伯さんは菜の花を油にせずそのまま畑にすきこみ緑肥に活用していこうと考えています。化学肥料は今後高騰しお米の生産原価は上がることが予想されますが、米価の低迷は続いています。肥料を自給して、菜の花の蜂蜜売った代金で種代や耕運機の燃料代を捻出すれば中山間地でもコストを下げたお米作りができるのではないかと実験中です。富山県内でも上市町や高岡市など、ビーフレンドの仲間たちが菜の花を休耕田に植える取り組みをしています。しかも、そのお米は「への字農法」の一つとして農薬や化学肥料に頼らず、安全な方法で栽培されています。
「一次産業は自分で作り、加工し、販売すればある程度の所得でも食べていける産業なのです」と佐伯さんは自信を持って語ります。20〜30歳代の若者たちの就職難の時代に、農家の人間でなくても農業で生活できるモデルを広げていきたい。佐伯さんのチャレンジは続きます。
<取材:2009.9月 >
ベッカライ・ヨナタン 塚本さん
野生酵母を使ってパンの魅力を発信する―
民家のような工房 写真は塚本さん。
パン焼きオーブン 外国製で遠赤外線効果を出すため鉄板に薄い石を張っています。
■塚本さんの経歴とパンの原材料について
塚本さんはもともと実家がパン店さんだったそうです。しかし、子ども時代からこの仕事が大変だったのを知っているだけに後を継ぐつもりはなかったそうです。学生時代は海外を放浪し、当時欧米から広がった玄米正食の考え方に影響を受けました。マクロビオティックのコックなどで修業を積まれたそうです。
こうした仕事をしながら玄米食が必ずしも消化がよい食べ方ではないこと、ゆっくり食事に時間を取れない人でも食べやすい食事はないものかと感じていました。そんな時、惹かれたのが発酵の過程を経て消化が良く栄養を丸ごと吸収できる全粒粉を使ったパンづくりです。奥さんがスイスの方でライ麦などを使った自家用のパンを焼いていたことがそのきっかけとなりました。その後パン作り一筋の人生を歩まれることになります。
ヨナタンのパンの原材料は国産小麦を主原料に、できる限り素性の確かなもの、オーガニックな素材を使用しています。小麦は以前は農家と直接提携し自家製粉まで行っていましたが、今ではある程度広い面積で栽培している北海道産小麦を使用しています。うどんやおやきなどは地粉でいいのですが、パンは小麦のたんぱく質、炭水化物(でんぷん)量、酵素活性など品質が安定しているもので良いパンを焼くことができるためです。砂糖はてんさい糖と粗製糖を使用。油脂としてはオーガニックのパーム油を使用しています。生地の離型剤として菜種油を使用。菓子パンに使う卵は遺伝子組み換え飼料を与えない近所の平飼い卵、生クリームは北海道・よつ葉乳業、はちみつは国産品。またナッツやレーズンはノヴァなどのオーガニックのものを使用しています。また、有機アセロラの粉末を添加していますが、これは全粒粉の割合が高いとパンが膨らみにくいためビタミンCの代用品として使用してごく少量使用しています。
■自家製酵母へのこだわり
塚本さんは自分で焼いたパンを“天然酵母パン”とは呼びません。それはパン作りの中で一般的に使用されているイースト菌も自然に存在する酵母菌の一種であり、イースト菌を使ったパンを天然酵母パンと表現しても間違いではないからです。特定の酵母菌を抽出させたイースト菌は繁殖力が強く失敗なくパン作りができる優れた酵母菌ですが、独特のイースト臭があり味に深みが欠け、ケミカルな培養過程にも不安があります。
パン工房で使用する酵母菌はドイツから輸入したホワイトサワー種、自家製のライサワー種、自家製の小麦粉で作ったサワー種それとこだま酵母です。まず「親種」から仕込みそこから「帰り種」を作り、パンを焼く前の「元種」を作ります。パン工房に生息するさまざまな酵母菌が仕込んだ酵母菌と共生しそれがヨナタンの“野生酵母”として個性を放ちます。
かつて天然酵母パンと呼ばれたパンは時間が経つと酸味が出てきてパサつくものが多かったのですが、ヨナタンのパンにはそれがありません。塚本さんにそのことを話すと酸味も個性で美味しさの一つだが、今ではヨーロッパの食事パンも酸味が好まれない傾向にあるとのこと。パン工房では自家培養した「親種」から培養した「元種」を数回使用すると、自然界の中で発酵力の強い乳酸菌や酢酸菌が優位となり酸味が出るため、また元種に戻って酵母菌作りから始めます。イースト菌を使ったパン作りに比べて手間と時間がかかる作業ですが、出来上がったパンは時間をかけた分、旨みや奥行きがある味わい深いパンとなります。パン食文化の歴史が浅い日本では軽く、柔らかく、白いパンが好まれる傾向にあり、その折り合いをつけながら今の時代に合ったパンを焼いているそうです。
■塚本さんのパン作りへの思い
天然酵母や国産小麦を使用したパンも最近では珍しくなくなり、中には特定の付加価値をつけて高価な価格で販売していることもあります。こうしたパンに比べるとヨナタンのパンはボリュームがあり食べ応えある割には高くありません。塚本さんは原材料に良いものを使用しても誰しもが健康的な生活を送って欲しいので、価格面でも考慮されているとのこと。過剰な内装をせず店舗を持たないのもその理由の一つ。相手先の送料の負担まで考えて焼き菓子も加え、毎週8~10種類ずつのパンと焼き菓子を組み合わせて製造しています。
塚本さんは最近、自分の焼いたパンに健康的な効能があることがわかったと私に笑顔でお話して下さいました。近年の研究で人の免疫機能の6割が腸にあり、免疫機能を活性化させるものとして腸内細菌の重要性が明らかになりました。サワー種にはヨーグルトもびっくりするくらいのたくさんの乳酸菌成分が含まれ、善玉菌の環境を整え、免疫機能にも直接働きかけます。ヨナタンのパンにはサワー種の酵母菌がどれも使われており、パンの原料に食物繊維の多い全粒粉を使用するためこちらも腸内環境も調える働きをします。
人は長い歴史の中で発酵や醸造から生まれた食品を食生活に取り入れて豊かな文化を創ってきました。時代の先駆けとして1980年代から自家酵母でパンを焼き続け美味しさと安全性、食べやすさなどを試行錯誤してきたヨナタンのパン。そこに食べる人を健康にしていくという新たな価値が加わり、塚本さんのパン作りへの挑戦は終わることがないことを感じて、私は工房を後にしました。
<取材:2008年1月4日>
(株)片山 片山雄介さん
(株)片山はお酒を通して生産者・蔵元と消費者をつないできました
お店の前で撮影させていただきました
倉庫の前はイベントスペースです
店内ではお酒の量り売りも
オーガニックワインを除いて共同購入会では(株)片山さんを通してお酒の取り扱いをしています。ここで取り扱うお酒はキラリと光る個性を主張したものばかり。神奈川県川崎市にあるお店を訪れ、私(金谷)が代表の片山さんにお話をお聞きしたのは2月26日のことでした。
■(株)片山と片山雄介さんの歩み
片山さんは7人兄弟の5番目に生まれ、自由な家風の中で育ちました。お父さんは川崎市で3軒の酒屋を経営していましたが、片山さんは家業から離れ新しい世界に関心を持ち北海道の酪農学園に入学しました。大学では農閑期を使ってたびたび興農塾や滝本農園などを訪れました。北海道で安全な農畜産業のさきがけとなったところで、片山さんは有機農業や堆肥作りの中で微生物が織り成す発酵の世界の面白さを知ることになります。
28歳のときに片山さんのお父さんが他界されます。1984年に家業を継ぐ時に片山さんが始めたことは、伝統的な農と醸造文化を生かした蔵元と提携したお酒や醸造食品の卸販売事業でした。片山さんは、こうした方面なら今まで学んだことが仕事として生かしていくことが出来るのではないかと考えたのでした。当時日本酒は醸造用アルコールや糖類を添加し、各地の小さな蔵元から桶ごと購入して画一的な味をブレンドしている大手メーカーのお酒が幅を利かせていた時代でした。
片山さんは米と米麹だけで作った伝統的な作り方を守った各地の蔵元を訪ね、志のある酒造メーカーと直接提携を始めました。農業への関心があったことから、原料米も可能な限り農薬の使用量を減らし、周囲の環境に配慮しているものを(株)片山で取り扱うお酒の基準とし、いわゆる自然酒の専門店としての道を確立することになります。
■片山さんが求めるお酒とは
日本酒では仁井田本家が作る自然酒・金寳の取り扱いを始め、アルコール度数の高く果実酒作りにも使える本格焼酎として小正醸造の玄米焼酎を共同開発しました。現在、(株)片山で取り扱っているメーカーは約60社。(株)片山で扱う酒は、一つ一つ片山さんと蔵元の「縁」によって繋がり、将来にわたって関係が続けていけるお酒を選定しています。
(株)片山では今ブームになっている、オーガニックワインや吟醸酒などはあまり品揃えはしていません。私が片山さんに「どのようなお酒を消費者の方に勧めたいのですか」とお聞きすると「酵母が生きているお酒を積極的に勧めたいですね」という答えがかえってきました。共同購入会ではまだ扱っていませんが、(株)片山では無ろ過で火入れしていないどぶろくに近いお酒、玄米を原料にしたお酒、韓国のにごり酒などユニークなお酒を品揃えしています。そうした考え方で生まれたのが井筒ワインの生ワインでした。これは赤ワインブームのときに、白ワインが売れなくなってしまいメーカーと知恵を絞って生まれた商品で、無ろ過のため酵母菌が生き、微かな炭酸も含んだフレッシュなワインです。
■会社や組織に対する片山さんの考え方
1991年に片山さんが呼びかけ「生命踊る発酵と醸造」をテーマに作られたネットワークが和蔵会でした。和蔵会は他業者の方の参加もあり卸会社と生産者との取引の関係を超えて、農家や消費者をつなぐゆるやかなネットワークとして育ってきました。しかし、2000年に片山さんは自らの意思で会を解散しました。組織が大きくなり長い年月がたつと惰性で組織のための組織運営をしがちになる弊害を考えたためです。
(株)片山では自らの経営テーマに沿った商品だけを扱い、無理な営業活動をせず会社の規模もむりやり大きくするような方法はとりません。片山さんは流通組織が大きくなると小さな蔵元との関係が一方的となるし、働いているスタッフのことや扱っている商品のことを見える範囲でやっていきたいと考えているからだそうです。
そんな片山さんが最近新たに始めたのが和蔵塾です。これは将来の世代に向けて、若手経営者や次期酒造りの現場担い手を対象に泊りがけで行っている研修会です。各地の米作りや発酵と醸造の生産現場を訪れ、若手に発言の機会を与えて酒業界に新しい刺激を与えようという試みです。お店では毎月1回イベントを開催してきましたが、来年はお店を改装して1階はコミニティマーケット、2階はみんなが集まれる食堂にするそうです。川崎市古市場にあるこの地域はかつてはにぎやかな商店街として人であふれていたそうです。地域の人々びとが気軽に足を運び、高齢者にもゆったりとくつろいでもらえる居場所作りをしたいということでした。
帰り際、片山さんのお店にお寄りしました。野菜や惣菜や発酵食品などが所狭しと並べられ、酒屋というより自然食品のコンビニのようなお店でした。次に、ここを訪れるときにどのようなお店に変わっているのか、私はわくわくするような気持ちで片山さんとお別れしました。
<取材:2011.2.26>
(株)井筒ワイン
国産ワインの可能性にチャレンジするワイナリーと生産者たち
ワイナリーの前で参加者の皆さん
自社農場のぶどうの出来を見る鵜沢さん
近隣の生産者が次々にぶどうを搬入します
■地元生産者と提携したぶどう園
井筒ワインのワイナリーへは富山から高速道路を利用して4時間弱。塩尻駅から車で5分くらいの場所にあります。市内には9つのワイナリーがあり向かいには明日の見学地の五一ワインのワイナリーもありました。ぶどうの収穫真っ最中の季節とあって、ワイナリー裏手では生産者の皆さんがトラックで収穫したぶどうを満載して次々に運んでいました。 見学会を一日案内していただいた、井筒ワインの営業部長の鵜沢和さんのお話では、持ち込まれたぶどうは糖度検査が行われ、糖度が16度以上のものを全量買い上げているそうです。糖度の高いぶどうつくりをすれば収量が落ちるため、糖度によって価格差をつけて品質の向上を図っています。栽培場地元JAの基準に沿って行われますが、社内には4名の営農指導員があり除草剤を使用せず刈り取った草は肥料として農地に還元させたり、新品種の導入などの技術指導を行っています。ワインの残留農薬の検査では今まで農薬が検出されたことがなく、昨年放射能の汚染を測定しましたが1ベクレル/㎏でも検出限界値未満という結果でした。
■自社農園のぶどう畑見学
中央アルプスの麓にある標高7000mの塩尻市は昼夜の寒暖の差が大きく、日照時間も長く乾燥した地域です。ぶどう栽培に適し、120年前からぶどうの樹が採りいけられ、コンコード酒は個々でしか栽培されていません。井筒ワインでは塩尻市桔梗ケ原の150軒の契約農家と自社のぶどうだけを使用しており、栽培面積は50haほど(うち10haが自社農園分)に及ぶそうです。昼食後にワイナリーの近くにある井筒ワインの農場を見学しました。自社農園ではコンコード・ナイアガラが6割を占めます。残りは高級ワインの原料となる欧米種のぶどうです。欧米種のぶどうは雨に弱く病気が発生しやすいことから栽培が難しく、こうした品種の面積を増やしていくことが今後の課題となっています。 自社農園では23種類のぶどうが栽培されていますが、この畑だけでも8種類のぶどうが植えられていました。試食させていただくとそれぞれに個性があり糖度も高くおいしいぶどヴでした。生食用のセットにすれば会員の皆さんに喜んでいただけると思ったほどです。今までは作業性と収量を重視してぶどう棚で作る「棚作り」が一般的でしたが、最近では生垣のように作る「垣根栽培」を増やしているそうです。この方がぶどうの房一粒一粒に日光が当たるため、糖度か高くなり品質の高いぶどうができるそうです。
■ワイナリーの見学と井筒ワインの取り組み
その後、ワイナリーの中に入って醸造施設や地下貯蔵庫へ。持ち込まれたぶどうは果汁を圧搾し、酵母を加え発酵へと進み、上澄みや不純物を取り除く清澄やろ過などの工程を経て熟成されていきます。醸造施設ではいくつもの大きなステンレスのタンクが並んでおり、発酵している最中のタンクの中を特別に覗かせていただきました。炭酸ガスから発するシュワーという音と共にやや甘い発酵臭がして、私は力強い酵母菌の生命力を感じました。熟成期間が短いリーズナブルなワインはステンレスのタンクの中だけで熟成されますが、一部のワインはオークの樽に移しかえ更に熟成を重ねます。こうすることでワインはオークの香りに包まれ、独特の風合いをもつことになります。地下貯蔵庫には温度や湿度が一定に保たれ年代物のワインやオークの樽がいくつも並べられていました。
見学を終えると2階の部屋に移動して試飲会が始まりました。次々に新しいワインのボトルが空けられ、皆さんそれぞれその違いを楽しんでいました。私は運転のため口にすることができず、じっと苦しい時間を過ごす結果となりました。この場に塚原嘉章社長も同席され井筒ワインの歴史や現在の取り組みについてお話をお伺いすることができました。井筒ワインは創業して80年近くの歴史がありますが、今では年間生産量が約70万本にもなります。社の方針として原料に輸入のぶどう果汁は使用せず、地元の生産者とともに歩んでこられた歴史があります。かつては大手メーカーにワイン原料を卸していましたが、今では全て自社ブランドだけでワインを製造。原産地が長野県産100%で高い品質であることを示す認定(NAC)ワインの普及もすすめてきました。桔梗ケ原産メロル種ぶどうは国際品評会でも高い評価を受け、国内約700社が加盟する国産ワインコンクールでは3つの金賞、2つの銀賞を受賞しています。片山さんとは30年来のお付き合いで、その出会いが無添加ワインを製造するきっかけとなったそうです。社内には(株)片山専用の貯蔵庫まで作られていました。
試飲会終了後、残ったワインをお土産にいただきました。金賞を受賞した「NACカベルネ・ソーヴィニョン熟成2010」の赤ワインです。その日の宿で飲んだワインの美味しかったこと。無添加の井筒ワインはフルーティーで飲みやすいものが多いのですが、このワインは重厚で深みがある飲みごたえでした。亜硝酸塩を添加しているため(株)片山三では扱っていません(残念!)が、私にとってこの日は国産ワインの更なる魅力を勉強できた一日となりました。
<取材:2012.9.22>
(有)共済農場 大久保嘉子さん
北海道富良野・麓郷の森から生まれたジャム作り
ふらのジャム園で代表の大久保さん(左から2人目)などスタッフの皆さんと
富良野市を見渡せる高台には展望台と農場があります
売店ではジャムの試食もできます
■「ふらのジャム園」との提携の始まり
今から30年近く前、私(金谷)は新婚旅行の訪問先の一つとして北海道・富良野に行きました。富良野市郊外の麓郷の森は放映されてきたテレビドラマ『北の国から』の舞台の場所。観光名所となった撮影現場を訪れた際に、たまたま「ふらのジャム園」と書かれた手作りの看板が目に留まり、ここに立ち寄ったのでした。作業小屋のような売店でジャムを購入し、試食してみるとその美味しさに感激。以後私は北海道に行く機会があれば「ふらのジャム園」に立ち寄ることにしています。 昨年福島の原発事故以降、食品の放射能汚染が懸念されていますが、特に低木のベリー類などの果物は放射性物質が蓄積されやすいと言われています。北海道産の果実を中心にした「ふらのジャム」なら会員の皆さんにも安心してお届けできるだろう、そう考えて共同購入会と提携を始めさせていただいたのは、今年5月のことでした。お付き合いする産地にはできる限り直接お伺いしてお話をしたいと考え、私が「ふらのジャム園」を訪れたのが8月15日でした。おおぜいの観光客で忙しい中を、スタッフの皆さんに快く応対していただきました。
■共済農場の歩み
共済会という会員約千名の全国組織の一つの事業として共済農場が設立され、農場で運営されているのが「ふらのジャム園」です。共済会は「共に助け合って行こう、共に産み出しあって行こう、そして共に栄えて行こう」という共済の精神のもと、老人ホームや保健施設、海外への交流事業なども行っています。 この日、共済農場の創立メンバーの一人であり代表の大久保嘉子さんにお話をお聞きすることができました。大久保さん夫妻は共済農場の理念に共鳴した5人の若者と共に1974年に入植。しかし、麓郷の森は500m以上の標高があり採れる農作物は限られ、短い夏が終わるとすぐに冬支度が始まるという厳しい自然条件の土地でした。どの家にも祖父母や親がいて経験や技術を教えてくれますが、大久保さんたちはこうした農業の先輩もいない中で手探りで開墾を続け、9年後に残ったのは大久保さんご夫妻だけとなりました。 入植した仲間は去りましたが、新しく始まったのが加工部門としてのジャム作りでした。嘉子さんは足が悪く農作業に専念できなかったこと、果実栽培の盛んな道内の増毛町出身だったので市場に出せない果物をもらう機会が多く、栄養士の資格を生かしてジャム作りに取り組みました。当時、農家が自分で加工して製品作りをすることは珍しい時代でしたが、手作りの良さを生かした「ふらのジャム」は、美味しさと高い品質で評判を呼び、大手デパートでも取り扱われるようになりました。折から『北の国から』の大ブームで観光客も押し寄せるようになり、農場としての経営も徐々に安定し、現在は約20名のスタッフが働いています。
■「ふらのジャム園」の施設の様子
私は営業部のチーフマネージャーの青木さんに施設を案内していただきました。売店の隣のジャム工場は100坪のスペースがあり、5名のスタッフで毎日製造しているそうです。ジャムの製造工程は誰でも見学できるようになっていて、ジャム教室も開催しています。午前中は材料を選別しジャムを煮詰めアクを取る作業です。水を加えず素材の旨味をジャムに閉じ込めるために強火で一気に材料を煮詰め、扇風機で風を当て水分を飛ばします。午後からは製品の瓶詰め。防腐剤・合成香料・着色料などを使用せず、甘さを控えめにしているので最終工程で瓶を煮沸します。ジャムの原料果実はシーズン当初に下ごしらえして、年間の分を確保します。現在38種類ものジャムを製造していますが、北海道産のものは33種類。共済農場で生産したもの以外に、地元の富良野市や果実栽培が盛んな増毛町などから原料を集めています。 原料の良し、悪しがジャムの味を決めます。パンプキンジャムのかぼちゃは、つるが枯れるまで置いてでんぷん質が糖質に変わる完熟カボチャだけを使用します。ハスカップは農場で栽培したものだけでジャムを作ります。北海道では苫小牧や千歳がハスカップの主産地となっていますが、標高があり気温差がある富良野産のものは品質が良いそうです。 園内には国民的なキャラクターであるアンパンマンの作者漫画家のやなせたかし氏の直営ショップとプレイルームやギャラリーもあります。現地を訪れたやなせ氏がその風景を気に入って、2000年にやなせたかしの店「アンパンマンショップ」の唯一の支店を設立しました。無料で入場できるギャラリーにはアンパンマンのセル画や原画が展示されています。この絵には私から見ても大陸的な富良野の風景が取り入れられているような気がしました。 高台には麓郷展望台があり、「日本農村百景」のひとつにもなっている麓郷一帯の広大な風景を見渡すことが出来ます。展望台の周りは共済農場で、かぼちゃやベリー類の畑やお花畑が広がっていました。共済農場は43haの面積のうち25ヘクタールが畑です。ジャム原料の他、野菜を直接販売したり、ビール麦などを栽培しているそうです。 「ふらのジャム園」は訪れるたびに施設が立派になり、多くの人で賑わいを見せるようになりました。それでも昔ながらの手作りの製造方法と味が守られ続けているのは、代表の大久保嘉子さんの人柄そして共済の精神を掲げる共済会の理念があるからでしょう。
<取材:2012.8.16>
グリーンアイズ 森口鍛さん
フェアトレードコーヒーの先駆けとして
その可能性を追求してきたグリーンアイズ
左が喫茶「木楽堂」で「右」が焙煎室になっています
焙煎の仕事が朝から続きます
■映画の上映会前に森口さんを訪ねました
コーヒー栽培の現状と流通の問題点が描かれた映画「おいしいコーヒーの真実」。2008年8月に富山市の映画館「フォルツァ総曲輪」で上映されました。みどり共同購入会ではフェアトレード団体やコーヒー店を通して何種類かのフェアトレードコーヒーを扱っています。生産者の収入を増やし安定した生活を支えていく草の根の取り組みで始ったフェアトレードですが、今はスターバックスを始め量販店の店頭でもこうしたコーヒーが販売されるようになってきました。フェアトレードのコーヒーが多くの人たちの目に留まり購入できる機会が増えることは良いことです。反面、生産者の思いやそれを作ってきた背景が語られずこうしたコーヒー豆が一般の豆と同じように並べて販売されていることに違和感も感じます。そんな中で流通の一端を担う私たちは今後どのようにすればいいのだろう。私(金谷)が悩んでいると、電話口でいつも快活にお話をされる京都の森口鍛さんのことを思い出しました。 森口さんはグリーンアイズという名前でコーヒー焙煎の卸業をしています。扱うコーヒーは全てフェアトレードでオーガニックまたはそれと同等に栽培されたものです。そのコンセプトは長年変わっておらず、日本のフェアトレードコーヒーの基盤を作ってきた一人です。ここを訪れたのは2008年7月10日のこと。京都駅から地下鉄で4つ目の竹田駅から少し歩いた路地裏のビルの1階にグリーンアイズがありました。森口さんは1993年に喫茶「氣樂堂(きらくどう)」を開きながらコーヒー販売を始めました。本人はモダンな店内でゆったりと時を過ごす喫茶店の店主になることを考えていましたが、激動の学生時代を過ごし今もその余韻が残る京都の地がそれを許さなかったのでしょう。あるとき森口さんは近代的な農場の姿を宣伝するためにコーヒー農園で多量の農薬を散布されているテレビ映像を見ました。それを見た後、好きなコーヒーの世界に関わりながら、学生時代に自分が問題提起したことを生かしていくにはどうすればいいのか。たどり着いた答えが、農薬を使用しないでコーヒーを栽培する生産者とフェアトレードによって直接取引を行うことでした。
■グリーンアイズのコーヒー
コーヒーは石油に次ぐ大きな国際金融商品で世界で毎日約20億杯のコーヒーが飲まれています。しかし、生産者が価格決定に参加できることはほとんどなく、近年コーヒーの価格の低迷が続いています。生産者原価は極端に抑えられ、1杯のコーヒーの中で生産者の手取りは販売価格の1〜3%以下であるとも言われています。産地の違い・生豆の選別・焙煎の技術によってコーヒーの味が大きく変わってくることから、焙煎された豆の販売価格は量販店向けと高級喫茶店で何倍もの差が生まれる食のグローバル化を象徴する商品となっています。 森口さんが焙煎したコーヒー豆は美味しい味と共にリーズナブルな価格によって口コミで評判が伝わり、今では自然食の宅配やレストラン・同業のコーヒー屋さんまで全国80ヵ所以上に届けるようになりました。56歳を過ぎた今でも朝から昼まで休みなくコーヒーの焙煎を続けています。週2日はお客さんの反応を確かめたいと自ら奈良や大阪まで配達も行っています。汗が噴き出る暑さの中、この日もクーラーもない約6畳の狭い部屋で休むことなく仕事を続けている森口さんの姿がありました。 グリーンアイズでは大手メーカーと違って一度に大量の焙煎を行わず、時間をかけてゆっくりと焙煎します。ブレンドコーヒーは豆の種類によって焙煎時間が違ってくるので、手間はかかりますが単品ごとに焙煎を行っています。かといって、小さな焙煎機だと立ち上がりの温度管理が難しく余熱をうまく使って一定の温度に保つことが難しいので、一度に10kgの豆を焙煎できる機械で、立て続けに焙煎します。森口さんは私と話している最中でも、焙煎は人まかせにせず、失敗しないようにたえず焙煎機の様子を見守っていました。
■私たちが取り組むフェアトレードコーヒーの可能性
フェアトレードのコーヒーしか扱ってこなかった理由を森口さんは「コーヒーは嗜好品で美味しくなければみんなに広がっていかない。フェアトレードのコーヒーは生産者を支援するからやってきただけではなく、そのコーヒーの品質が良かったから続けることができたのです」と言われました。コーヒーは亜熱帯〜熱帯地方で採れる産物で、収穫時期は産地によって違います。そんな豆を一定の品質にして味を保っていくのは焙煎者の技術ですが、森口さんは「自分の仕事は生産者が丹精込めて作ったものを生かしていくだけ、つくり手の生産者のほうに光を当ててほしい」と願っています。グリーンアイズの焙煎豆は生豆の価格から考えるとこれで“適正な価格だ”とも言われます。 取り扱いのコーヒー豆は自分の目で選び、オーガニックで生産者が丹念に作っているから品質は高く美味しい。そして、みんなが続けて飲める価格だから広がっていく…。それは品揃えの一つとしてフェアトレードコーヒーを扱う大手の流通組織のあり方とは全く違うものです。私はそこにみんながコーヒーを楽しみ生産者と共に生きていくあるべき姿と流通に携わる私たちの仕事の方向性を感じることができました。
<取材:2008.7.11>
(有)生活アートクラブ
森づくりをテーマに自然素材・エコロジー雑貨の
企画・販売をする生活アートクラブ
共同購入会と提携している雑貨メーカーの一つが有限会社・生活アートクラブです。生活アートクラブでは“環境にやさしい”を一歩超えた、環境を育成する活動を伴った消費者参加型の製品を提案しています。その考え方には当会と共通することも多く、どんな会社なのかとても興味がありました。6月4日、私(金谷)が東京都杉並区にあるオフィスを訪れると、若い女性スタッフのばかりの華やかな感じのところでした。社長の富士村夏樹氏は1961年生まれのダンディな方。お話をお伺いすると、そんな風貌からは感じられない苦労の中で生活アートクラブを創り育ててこられた想いが伝わってきました。
■富士村社長と生活アートクラブの歩み
富士村氏は大学を卒業後、カタログ通販で有名な「千趣会」に5年間在籍。その後、腸内細菌の研究や販売を行う家業の手伝いを始めることになります。曾祖父は大正初期に、国内初のヨーグルト製造に着手した名声あるお医者さんでした。人間の身体は腸内細菌が免疫力を高め健康の維持に大切な役割を果たしています。祖父やお父さんの考え方に強い影響を受けた富士村氏は、人間が起こしていく生活環境の汚染は地球が健全に環境を維持する上で大きな問題となっていることを感じます。環境問題が地球規模で考えられるようになりましたがその地球環境や生活環境の汚染が三番目の環境、すなわち「腸内環境」に大きな打撃を与えていることを知った富士村氏は家業を離れ、2000年に生活環境改善を目的とした製品の普及活動をしていくための会社を立ち上げたのでした。
最初の製品が「美葉うぉっしゅ」というリサイクルした廃油が原料の粉石けんです。その後4年間かけて「リカバリー」という台所用液体石けんを開発しました。「美葉うぉっしゅ」は家業と縁のあった北海道・苫小牧市にある障害者授産施設の「美々川福祉園」に製造を委託し、青森ヒバのオイルを入れることで廃油石けんの臭いを取り去り、洗い上がりがふんわりとした製品にしました。「リカバリー」は松の油をベースに、北海道で多く自生する千島笹の微粉末の炭を入れることで排水した後の川の浄化を図りました。売り上げの一部はカンボジアの井戸作りに寄付する仕組みを作りました。
富士村氏は「いいものならばやがて世の中に受け入れられていく」という信念の下、環境や社会貢献で付加価値のある製品開発を進め、一品一品にこだわりとつくり手の想い=ストーリーのある製品を開発しました。そのことが、今日の生活アートクラブの原型となっています。
■生活アートクラブの取り組みの広がり
取り組みは水環境から川の浄化へ、そして農薬散布の問題へと広がっていきます。田畑に散布された農薬は土壌に浸透し川に流れ著しい環境負荷をかけていますが、富士村氏は、田畑に撒かれる何百倍もの量が殺虫剤やシロアリ駆除剤として使用されることを知り、住環境という最も身近なところで害虫駆除の仕事に取り組むことにしました。2003年に、ムシさんバイバイシリーズの防虫スプレーを販売します。従来家庭で使用される殺虫剤は農薬の専門家が作ったもので、湾岸戦争で神経障害を起こす要因として指摘されている「ディート」や「有機リン系薬剤」などもよく使用されています。それに対して、45年間害虫駆除に携わってきた専門業者と学者と提携してノンケミカル防虫剤を開発したのでした。
青森ヒバは東北地方では「蚊殺しの木」として知られ害虫に対する忌避効果はもとより、抗菌効果やフィトンチッドで知られる精神安定効果があります。ヒバ油はオガ粉100㎏から1リットルしか取れない貴重なものですが、その中にヒノキチオールという天然の抗生物質が含まれており、その効能を生かしたのでした。安全な住環境をもとめる消費者の支持を受けムシさんバイバイシリーズは飛躍的に販売量が増え、奥さんと二人で自宅で始めた会社は事務所を構え、2006年には国産材利用を進める「3.9GREEN STYLE」の参加登録作業の承認を受け、国産材ショ―ルームも事務所に併設しました。現在、生活アートクラブでは1000種類を超える国産木材製品の取り扱いがあり、その普及活動が認められ2010年1月に林野庁の進める「木づかい運動推進部門」として農林大臣感謝状を受けました。
■エコ雑貨から健康雑貨保全ネットワークへ
現在では薬剤以外の選択肢も選べますが、最近まで家を新築する際は住宅金融公庫の融資基準としてシロアリ駆除剤の使用が義務付けられていました。しかも、多くの施主は駆除剤の使用は業者任せで、危険な殺虫剤が使用されていてもわかりません。そのため、シックハウス症候群など健康被害が大きな社会問題となっています。青森ヒバの知識や経験を生かして富士村氏が新たに始めたのが、自然素材を使ったシロアリ駆除事業です。既存のシロアリ業者と同じように5年間の賠償補償や無料の中間点検をつけることで、自然素材だけで不安な施主にも受け入れてもらえる体制を作りました。現在の施工実績は約1300棟、健康住宅保全を志している若い経営者と提携し全国の約12社、各地に拠点とネットワークを作っています。
その他、塩素系薬剤を使用せず高温スチームや石けんなどを使ったハウスクリーニング、農薬を使用しない畳替えサービスなども始めました。
エコ雑貨から始まった生活アートクラブの取り組みは、今では健康建物保全業として大きな広がりを見せています。富士村氏が仕事の広がりと共に大切にしているのは、生産者の「顔」を消費者に、消費者の「声」を生産者に伝える橋渡しの活動です。創業前のカタログ販売の経験と家業代々の想いを生かし、生活アートクラブのチラシやホームページにはストーリーのある製品が詰まっています。それを支えるのがデザイン関係を中心に仕事を進める女性ばかり12名のスタッフの皆さんです。
つくり手の思いを伝えるのは「食」の分野に限りません。雑貨や住環境の分野でも事業を続けながら社会貢献をすすめていく生活アートクラブとスタッフ。共同購入会としてもこれから、様々な商品を会員の皆さんにお伝えしていきたいと考えています。 (文責・金谷)